東京家政学院 100周年記念ページ

東京家政学院
100周年記念ページ


2023年、東京家政学院は創立100周年を迎えます。
大江スミが本学院を創立してから100年。
時代が変わっても、KVA精神をはじめとする伝統は脈々と受け継がれています。
東京家政学院は、社会へ、未来へ、大きく飛躍していきます。



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100周年をむかえて


学校長:佐野 金吾
 東京家政学院は大正12年(1923)に大江スミによって牛込区市谷富久町(当時)に創立されました。創立当初は家政学に基づく科学的に家庭生活の合理化を図り、女性の自立を目指す女子教育にかかわってきました。創立当初、大江スミによって示された東京家政学院の教育理念=K(知)、V(徳)、A(技=わざ)は、本学院の伝統として受け継がれています。昭和22年教育基本法の制定に基づいて新たに開設された東京家政学院中学・高等学校は、教育基本法に示す教育目標の実現を目指しながらも女子教育の教育理念としKVAを受け継いでいます。
 「創造」なき「伝統」は無意味です。「現在」は、「過去」と「未来」の間にあります。東京家政学院中学・高等学校は女子教育100年の伝統を受け継ぎながらも、常に社会の動向を踏まえ、未来社会を見据えて女子教育の創造に向けて取り組んでいます。
 社会では「男女行動参画社会」の到来が叫ばれていますが、東京家政学院中学・高等学校は、生徒一人一人が社会と何らかの関わりをもち、社会に貢献できる資質・能力の育成を目指した教育活動に取り組んでいます。これからの学校教育においては一人一人の生徒が、自分のよさや可能性を認識するとともに、あらゆる他者を価値ある存在として尊重し、多様な人々と協働しながら様々な社会的変化を乗り越え、豊かな人生を切り拓き、持続可能な社会の創り手となることが求められています。
 東京家政学院中学・高等学校では、ゆとりある学校生活の中でKVAの教育理念の下にじっくりと時間をかけて生徒一人一人が「確かな学力」を身に付け、仲間とともに過ごす学校生活の中で「豊かな人間性」を育み、社会人として活躍できる人材の育成に取り組んでいます。
 今後、社会はどのように変化していくか不透明な部分はありますが、東京家政学院中学・高等学校では、どのような社会であっても一人の自立した女性として、社会の一員として、自らの在り方・生き方を選択し、幸せな生涯を過ごすことのできる資質・能力を育む女子教育の創造に向けて取り組んでまいります。

100周年をむかえて


学校長:佐野 金吾
 東京家政学院は大正12年(1923)に大江スミによって牛込区市谷富久町(当時)に創立されました。創立当初は家政学に基づく科学的に家庭生活の合理化を図り、女性の自立を目指す女子教育にかかわってきました。創立当初、大江スミによって示された東京家政学院の教育理念=K(知)、V(徳)、A(技=わざ)は、本学院の伝統として受け継がれています。昭和22年教育基本法の制定に基づいて新たに開設された東京家政学院中学・高等学校は、教育基本法に示す教育目標の実現を目指しながらも女子教育の教育理念としKVAを受け継いでいます。
 「創造」なき「伝統」は無意味です。「現在」は、「過去」と「未来」の間にあります。東京家政学院中学・高等学校は女子教育100年の伝統を受け継ぎながらも、常に社会の動向を踏まえ、未来社会を見据えて女子教育の創造に向けて取り組んでいます。
 社会では「男女行動参画社会」の到来が叫ばれていますが、東京家政学院中学・高等学校は、生徒一人一人が社会と何らかの関わりをもち、社会に貢献できる資質・能力の育成を目指した教育活動に取り組んでいます。これからの学校教育においては一人一人の生徒が、自分のよさや可能性を認識するとともに、あらゆる他者を価値ある存在として尊重し、多様な人々と協働しながら様々な社会的変化を乗り越え、豊かな人生を切り拓き、持続可能な社会の創り手となることが求められています。
 東京家政学院中学・高等学校では、ゆとりある学校生活の中でKVAの教育理念の下にじっくりと時間をかけて生徒一人一人が「確かな学力」を身に付け、仲間とともに過ごす学校生活の中で「豊かな人間性」を育み、社会人として活躍できる人材の育成に取り組んでいます。
 今後、社会はどのように変化していくか不透明な部分はありますが、東京家政学院中学・高等学校では、どのような社会であっても一人の自立した女性として、社会の一員として、自らの在り方・生き方を選択し、幸せな生涯を過ごすことのできる資質・能力を育む女子教育の創造に向けて取り組んでまいります。

創立者 大江スミ物語

※東京家政学院大学「2023年度入試 学校案内」に掲載されたものです。
※画像はクリックすると拡大されます。




創立者 大江スミ物語

※東京家政学院大学「2023年度入試 学校案内」に掲載されたものです。
※画像はクリックすると拡大されます。

~生い立ち編~

幕末の激動期を抜け、明治維新を迎えた日本。
なかでも国際的な気風にあふれ、
あらゆる文化に先駆けていた長崎の地で、
明治8(1875)年、顔にあざを持つ
一人の女の子が誕生します。
彼女の名は、宮川スミ(結婚して大江スミ)。
後に、本学の創立者となる人物です。

スミの父・盛太郎は、
「グラバー邸」にその名を残す
トーマス・ブレーク・グラバー氏に
若くして仕えた一人で、
新しい日本をめざす、志ある人でした。
長崎という土地で、進取的な感性を持った
両親のもと育てられたスミ。
両親は、スミに自立できる教育を受けさせるため、
維新後、上京を決意します。

日本初の公立小学校を卒業したスミは、
両親の勧めにより、名声高いミッションスクールの
東洋英和女学(現 東洋英和女学院)に入学し、
キリスト教の教えにふれます。

「神様は、容姿ではなく、
進歩することのできる
心を見てくださるんだわ」


自分の顔のあざにコンプレックスを
持っていたスミですが、
次第に、未来に希望を抱くようになっていきます。
「徳性」を重んじる本学の精神は、
スミのこのような実体験によるものです。

20歳で東洋英和女学校を卒業したスミは、
算術(算数)の教員を務めた後、教授法を勉強するため、
東京女子高等師範学校(現 お茶の水女子大学)に入学。 27歳で卒業し、沖縄の学校に赴任します。
沖縄の女学生たちは、どんな人にも平等に、
親切に接するスミを心から慕い、
後になっても、スミとの楽しい思い出を
語り継いだと言われています。

~イギリス留学編~

沖縄に赴任して1年あまりが経ったある日、
東京で開かれた夏期講習会に参加していたスミに、
文部省から「家政学研究ノ為三ヶ年
英国ヘ留学ヲ命ス」と手紙が届きました。
このとき、留学した48名の中で
女性はスミ一人でした。

この留学での「家政学」との出会いが、
後のスミの生涯に大きな影響を与えることになります。

渡英後、スミは、ロンドンの
バタシー・ポリテクニック(工芸学校)
(現 サリー大学)家事科に入学。
そこで、洗濯や料理、裁縫、育児といった、
実用的な家事知識と技術、
家事教授法を身につけました。
「イギリスは設備が整っていて、
たくさん実習ができる。
日本でもこれを実現しなければ…」

この想いは、後の東京家政学院の新校舎の
施設や設備、器具に活かされました。

明治38(1905)年、
約3年にわたる留学を終えたスミは、
日露戦争勃発により、帰国困難のため
私費で留学を1年延期。
ベッドフォード・カレッジ
(現 ロンドン大学ロイヤル・ホロウェイ校)の
衛生科に入学し、社会衛生学を学びます。

ベッドフォードでは外部との交流が盛んに行われ、
実際の世の中の様子を肌で感じながら、自由に学ぶことができました。
また、留学中にイギリス以外の国々を訪れたことも
スミの視野の国際化に大いに役立ちました。
学内に留まらないのびのびとした学習環境に、
スミは深く感動します。

そして、
「新しい家政学」
考えだしました。

~帰国・創立編~

「家政学は、
単に家事を学ぶことじゃない。
社会や人々をしあわせにする
学問なんだわ」


家庭に留まらない、
「社会の中での新しい家政学」
生まれた瞬間でした。

このときすでに、
イギリス都市部の女性たちは
家庭から出て、子育てをしながら
働き始めていました。
その様子を目の当たりにするなかで、
家事技術や家庭運営を知らないままに
家庭を持ち、仕事を持つことの不安を
感じました。
帰国後、スミは、諸外国での豊富な見聞をもとに、
文部省の期待に応える家政学を樹立し、
日本の家庭科授業を秩序立て、教師育成に尽力しました。
19年間、母校・東京女子高等師範学校で教職に就き、
日本の女子教育に尽力します。そして、実に、
イギリス留学から21年目となる大正12(1923)年、
スミが理想とした新しい家政学を実践するため、
市ヶ谷の自宅「家政研究所」を開設します。

子どものいないスミは、
「せめて、他人様のお嬢様を教育して、立派な徳操※を備えた女性を養成したい」
という思いを抱くようになります。その後イギリス留学で学んだ知識を活かし、
設備の完備や、充実した講師陣を招き、大正14(1925)年に東京家政学院を設立します。
※徳操:世の中のために良い行いをしようとする心

スミは、広く「知識(Knowledge)」を開き
「技術(Art)」を磨き、知と技を使う「徳性((Virtue)」
養うことの3つを、とても大切にしていました。
「K」と「A」が「V」で包まれた本学院の校章の図案には、
徳性(温かい人格)を高めることの重要さが示されています。
スミは、その後も精力的に活動を続け、
亡くなる昭和23(1948)年まで、
家政学と女子教育に人生のすべてを捧げました。

そして、いま。スミのめざしていた
「人々のしあわせにつながる家政学」を受け継ぎながら、
時代に即した教育を実践し続けてきた東京家政学院は、
2023年に創立100周年を迎えます。一人ひとりの
しあわせが、社会のしあわせにもつながっていく。
新しい時代に求められる「大切なこと」は、
実はスミの想いの原点にあるのかもしれません。
キャンパスにある、
スミの胸像が微笑んでいるように見えるのは、
日々家政学を学ぶ学生たちを
温かく見守ってくれているからなのでしょう。

東京家政学院100年のあゆみ


1923(大正12)年~
家政研究所
 
自宅を私塾として(1923年)
市ヶ谷富久町に家政研究所を開設
イギリス留学から戻り、程なくして大江玄寿との結婚生活6
年間を経て、夫の没後、大江先生は大いなる決意をし、それ
まで培った家政学の実験所として「家政研究所」を開設する。

1923年2月1日  東京牛込区市ヶ谷富久町109番地に
0000年0月0日  「家政研究所」開設
1923年9月0日  関東大震災の後、麹町一口坂に土地400
0000年0月0日  坪購入
1923(大正12)年~
市ヶ谷富久町に家政研究所を開設
家政研究所
自宅を私塾として(1923年)

イギリス留学から戻り、程なくして大江玄寿との結婚生活6年間を経て、夫の没後、大江先生は大いなる決意をし、それまで培った家政学の実験所として「家政研究所」を開設する。

1923年2月1日  東京牛込区市ヶ谷富久町109番
0000年0月0日  地に「家政研究所」開設
1923年9月0日  関東大震災の後、麹町一口坂に
0000年0月0日  土地400坪購入
1925(大正14)年~
校舎(1931年)
 
授業風景 大田正孝先生

応用化学実験(1932年)
 
授業風景 園芸
三番町に東京家政学院開学・
KVA 精神掲げる・千歳農場できる
関東大震災で東京が焼け野原になるが、大江先生はそれを
チャンスに変え、新しい地を購入し、教育の種をまく。先生
の理想は高く、学院には一流の講師陣、一流の施設を備えて
いく。

1925年5月21日  創立記念祝賀会(後に創立記念日)開催。
0000年0月00日  校章(専門部第1回生考案)と尾上柴舟
0000年0月00日  作詞、賛美歌112番が校歌となる
1926年3月00日  同窓会光塩会発足
0000年0月00日  鉄筋コンクリート4階建の校舎新築
1927年7月23日  東京家政専門学校設置認可
0000年0月00日  大江先生校長就任
1931年4月00日  東京府北多摩郡千歳村に園芸実習場・運
0000年0月00日  動場設置・千歳船橋分教場開校
1925(大正14)年~
三番町に東京家政学院開学・
KVA 精神掲げる・千歳農場できる
校舎(1931年)
授業風景 大田正孝先生
応用化学実験(1932年)
授業風景 園芸

関東大震災で東京が焼け野原になるが、大江先生はそれをチャンスに変え、新しい地を購入し、教育の種をまく。先生の理想は高く、学院には一流の講師陣、一流の施設を備えていく。

1925年5月21日  創立記念祝賀会(後に創立記
0000年0月00日  念日)開催。校章(専門部第
0000年0月00日  1回生考案)と尾上柴舟作詞、
0000年0月00日  賛美歌112番が校歌となる
1926年3月00日  同窓会光塩会発足
0000年0月00日  鉄筋コンクリート4階建の
0000年0月00日  校舎新築
1927年7月23日  東京家政専門学校設置認可
0000年0月00日  大江先生校長就任
1931年4月00日  東京府北多摩郡千歳村に
0000年0月00日  園芸実習場・運動場設置・
0000年0月00日  千歳船橋分教場開校
1936(昭和11)年~
校舎2号館(1935年竣工)
借金コンクリートと大江先生はユーモアを交えて呼んだ
 
東京家政学院高等女学校マント
表地が紺色、裏が赤のおしゃれなものだった
新校舎・学生寮そして高等女学校開設
東京家政専門学校の評判は全国にとどろき、学生が集まっ
た。手狭になった校舎を拡げるために、鉄筋コンクリート地
上6階地下2階で、レースのカーテンが窓辺にかかった校舎
をさらに新築。この校舎は、近隣からも目をひき東洋一とい
われた。大江先生の英語力で外国からの視察団も訪れた。ま
た、学生寮も備わり発展は止まらなかった。そして、念願の
高等女学校開設にこぎつけ、生徒たちのマントを着た姿は、
とても可愛らしかった。

1936年2月  創立10周年 新築校舎落成記念祝賀式・祝賀会
1938年4月  農園に寄宿舎(千歳寮)竣工
1939年4月  東京家政学院高等女学校開学
1936(昭和11)年~
新校舎・学生寮そして高等女学校開設
校舎2号館(1935年竣工)
借金コンクリートと大江先生はユーモアを交えて呼んだ
東京家政学院高等女学校マント
表地が紺色、裏が赤のおしゃれなものだった

東京家政専門学校の評判は全国にとどろき、学生が集まった。手狭になった校舎を拡げるために、鉄筋コンクリート地上6階地下2階で、レースのカーテンが窓辺にかかった校舎をさらに新築。この校舎は、近隣からも目をひき東洋一といわれた。大江先生の英語力で外国からの視察団も訪れた。また、学生寮も備わり発展は止まらなかった。そして、念願の高等女学校開設にこぎつけ、生徒たちのマントを着た姿は、とても可愛らしかった。

1936年2月  創立10周年 新築校舎落成記念祝賀
0000年0月  式・祝賀会
1938年4月  農園に寄宿舎(千歳寮)竣工
1939年4月  東京家政学院高等女学校開学
1940(昭和15)年~

賀陽宮様御来校(1941年)
 
大江スミ先生学校葬
第二次世界大戦、大江先生の死去
東京家政学院が順調に成長する一方、国中が戦争という不
穏な空気に包まれ突入していく。大江先生を常に支え続け
てきた母の死が、それを暗示するかのようでもあった。戦争
が続く中、学院は東京大空襲の戦火にまみれてしまう。
戦後をむかえるが、4年制大学の申請を目前に大江先生は、
病に倒れ学院の復興を見ぬまま召天される。

1945年3月0日  全校舎戦災にみまわれ全焼、千歳寮を仮
0000年0月0日  校舎とする
1947年4月0日  東京家政学院中学校開設
1948年1月6日  大江先生死去(3月学校葬)
1940(昭和15)年~
第二次世界大戦、大江先生の死去
賀陽宮様御来校(1941年)
大江スミ先生学校葬

東京家政学院が順調に成長する一方、国中が戦争という不穏な空気に包まれ突入していく。大江先生を常に支え続け<てきた母の死が、それを暗示するかのようでもあった。戦争が続く中、学院は東京大空襲の戦火にまみれてしまう。戦後をむかえるが、4年制大学の申請を目前に大江先生は、病に倒れ学院の復興を見ぬまま召天される。

1945年3月0日  全校舎戦災にみまわれ全焼、千
0000年0月0日  歳寮を仮校舎とする
1947年4月0日  東京家政学院中学校開設
1948年1月6日  大江先生死去(3月学校葬)
1948(昭和23)年~
割烹授業(1949年卒業アルバムから)
 
復興音楽会(1948年)
千代田区三番町に復帰 高等学校開学
戸田貞三校長就任、大江先生が亡き後、様々な困難が前に立
ちはだかる。しかし悲しんでばかりいられない学院は、立て
直しに奔走し、4年制大学の申請をあえなく断念し短期大学
開学に向けて進めて行く。

1948年2月  千歳寮の仮校舎から三番町に復帰
0000年0月  東京家政学院高等学校開学
0000年7月  三番町校地拡張
1949年4月  東京家政学院に普通科、東京家政専門学
0000年0月  校に別科設置
1948(昭和23)年~
千代田区三番町に復帰 高等学校開学
割烹授業(1949年卒業アルバムから)
復興音楽会(1948年)

戸田貞三校長就任、大江先生が亡き後、様々な困難が前に立ちはだかる。しかし悲しんでばかりいられない学院は、立て直しに奔走し、4年制大学の申請をあえなく断念し短期大学開学に向けて進めて行く。

1948年2月  千歳寮の仮校舎から三番町に復帰
0000年0月  東京家政学院高等学校開学
0000年7月  三番町校地拡張
1949年4月  東京家政学院に普通科、東京家政専
0000年0月  門学校に別科設置
1950(昭和25)年~

授業風景 「国語」池田亀鑑先生
 
図書館(1952年頃)
三番町に短期大学開学と繁栄
戦後の日本の経済成長は著しく、勢いづいていた。また、ベ
ビーブームや女性の社会進出に伴う高学歴化なども重なり、
就職に有利な短期大学の人気は目覚ましかった。学院も三
番町キャンパスには学生が溢れ、加えて1年コースの別科
も賑わった。いわば学院にとって充実期ともいえる。

1950年04月  短期大学家政科開学
1951年04月  短期大学に別科設置
1953年10月  創立 30 周年記念式典
1955年03月  研究論文集「家政研究」創刊(1964年より
0000年00月  紀要となる)
1959年12月  中学校高等学校の全容を編集した「ばら」
0000年00月  創刊
1962年08月  長野県蓼科高原「山の家」開所
1950(昭和25)年~
三番町に短期大学開学と繁栄
授業風景 「国語」池田亀鑑先生
図書館(1952年頃)

戦後の日本の経済成長は著しく、勢いづいていた。また、ベビーブームや女性の社会進出に伴う高学歴化なども重なり、就職に有利な短期大学の人気は目覚ましかった。学院も三番町キャンパスには学生が溢れ、加えて1年コースの別科も賑わった。いわば学院にとって充実期ともいえる。

1950年04月  短期大学家政科開学
1951年04月  短期大学に別科設置
1953年10月  創立 30 周年記念式典
1955年03月  研究論文集「家政研究」創刊(19
0000年00月  64年より紀要となる)
1959年12月  中学校高等学校の全容を編集した
0000年00月  「ばら」創刊
1962年08月  長野県蓼科高原「山の家」開所
1963(昭和38)年~
創立50周年記念式典 関口学長挨拶
 
KVA祭

授業風景 遠藤波津子先生(整容着付け)
4年制大学開学
いよいよ、念願であった4年制大学の開学をむかえる。大江
先生が急死して、あえなく諦めざる終えなかった案件が、
20年後ようやく単科大学として認可がおりた。学院に携わ
る多くの人々の安堵と希望は計り知れない。ここから新た
なステップを踏み出して行く。

1963年04月  東京家政学院大学開学
1964年11月  第1回KVA祭開催
0000年00月  KVA会館新築
1968年11月  「学院だより」創刊
1974年11月  「大学図書館報」創刊
1975年11月  創立50周年記念式典
1976年11月  「東京家政学院五十年史」発刊、大江文庫
0000年00月  目録・江戸時代編発刊


1963(昭和38)年~
4年制大学開学
創立50周年記念式典 関口学長挨拶
KVA祭
授業風景 遠藤波津子先生(整容着付け)

いよいよ、念願であった4年制大学の開学をむかえる。大江先生が急死して、あえなく諦めざる終えなかった案件が、20年後ようやく単科大学として認可がおりた。学院に携わる多くの人々の安堵と希望は計り知れない。ここから新たなステップを踏み出して行く。

1963年04月  東京家政学院大学開学
1964年11月  第1回KVA祭開催
0000年00月  KVA会館新築
1968年11月  「学院だより」創刊
1974年11月  「大学図書館報」創刊
1975年11月  創立50周年記念式典
1976年11月  「東京家政学院五十年史」発刊
0000年00月  、大江文庫目録・江戸時代編発刊
1984(昭和59)年~


東京家政学院大学 町田キャンパス
 
東京家政学院筑波短期大学(1990年~)
東京家政学院大学町田キャンパス開学
東京家政学院筑波短期大学開学
戦後第2のベビーブームに湧く日本では、広大な面積の校
地を求め郊外型キャンパスが次々と設けられブームのよう
であった。学院もまだまだ未開発地であった町田市相原に
キャンパスを求め、今までの家政学部に加え人文学部と短
大英語科を設置する。また、筑波研究学園都市にも短期大学
を茨城県とつくば市の要請で開学する。

1984年6月  創立60周年・多摩キャンパス開学記念式典
1990年4月  東京家政学院筑波短期大学開学
0000年5月  東京家政学院生活文化博物館設置
1995年4月  東京家政学院大学大学院開学
1996年4月  東京家政学院筑波女子大学開学
2003年3月  創立80周年記念誌発刊
0000年6月  創立80周年記念式典
1984(昭和59)年~
東京家政学院大学町田キャンパス開学
東京家政学院筑波短期大学開学
東京家政学院大学 町田キャンパス
東京家政学院筑波短期大学(1990年~)

戦後第2のベビーブームに湧く日本では、広大な面積の校地を求め郊外型キャンパスが次々と設けられブームのようであった。学院もまだまだ未開発地であった町田市相原にキャンパスを求め、今までの家政学部に加え人文学部と短大英語科を設置する。また、筑波研究学園都市にも短期大学を茨城県とつくば市の要請で開学する。

1984年6月  創立60周年・多摩キャンパス開学記
0000年0月  念式典
1990年4月  東京家政学院筑波短期大学開学
0000年5月  東京家政学院生活文化博物館設置
1995年4月  東京家政学院大学大学院開学
1996年4月  東京家政学院筑波女子大学開学
2003年3月  創立80周年記念誌発刊
0000年6月  創立80周年記念式典
2005(平成17)年~
授業風景 筑波学院大学
 
中高生授業風景

中高生登校風景
日本は、いわゆるバブル経済の破綻後なかなか好景気にみ
まわれず、また少子化もあいまって大学経営の見直しが必
要となる時代を迎えた。本学も抜本的な改革をスタートさ
せる。まず、筑波学院大学に名称変更し男女共学になる。そ
して、短期大学や家政学部・人文学部の改組から現代生活学
部一本化となり、千代田三番町キャンパス2学科・町田キャ
ンパス3学科の体制になる。それに伴い三番町が全面的に
リニューアルされる。

2005年4月  筑波学院大学に名称変更、男女共学となる
2007年4月  大学院男女共学
2010年4月  東京家政学院大学現代生活学部を開設
0000年0月  (千代田三番町・町田キャンパス )
0000年4月  筑波学院大学経営情報学部に改組
0000年6月  東京家政学院短期大学60周年記念式典
2013年6月  創立90周年記念式典


2005(平成17)年~
授業風景 筑波学院大学
中高生授業風景
中高生登校風景

日本は、いわゆるバブル経済の破綻後なかなか好景気にみまわれず、また少子化もあいまって大学経営の見直しが必要となる時代を迎えた。本学も抜本的な改革をスタートさせる。まず、筑波学院大学に名称変更し男女共学になる。そして、短期大学や家政学部・人文学部の改組から現代生活学部一本化となり、千代田三番町キャンパス2学科・町田キャンパス3学科の体制になる。それに伴い三番町が全面的にリニューアルされる。

2005年4月  筑波学院大学に名称変更、男女共学
0000年0月  となる
2007年4月  大学院男女共学
2010年4月  東京家政学院大学現代生活学部を開
0000年0月  設(千代田三番町・町田キャンパス)
0000年4月  筑波学院大学経営情報学部に改組
0000年6月  東京家政学院短期大学60周年記念
0000年0月  式典
2013年6月  創立90周年記念式典
2014(平成26)年~

100周年式典
 
100周年式典2

2016年4月  筑波学院大学経営情報学部経営情報学科をビジ
0000年0月  ネスデザイン学科に名称変更
2018年4月  東京家政学院大学現代生活学部食物学科を開学
2018年4月  東京家政学院大学人間栄養学部人間栄養学科を
0000年0月  開学
2019年4月  筑波学院大学設置者変更
2020年4月  東京家政学院大学大学院人間生活学研究科家政
0000年0月  学専攻(修士課程)を開学
2020年4月  東京家政学院大学大学院人間生活学研究科栄養
0000年0月  学専攻(修士課程)を開学
2023年5月  創立100周年記念式典
2014(平成26)年~
100周年式典
100周年式典2

2016年4月  筑波学院大学経営情報学部経営情報
0000年0月  学科をビジネスデザイン学科に名称 0000年0月  変更
2018年4月  東京家政学院大学現代生活学部食物
0000年0月  学科を開学
2018年4月  東京家政学院大学人間栄養学部人間
0000年0月  栄養学科を開学
2019年4月  筑波学院大学設置者変更
2020年4月  東京家政学院大学大学院人間生活学
0000年0月  研究科家政学専攻(修士課程)を開学
2020年4月  東京家政学院大学大学院人間生活学
0000年0月  研究科栄養学専攻(修士課程)を開学
2023年5月  創立100周年記念式典

東京家政学院創立100周年記念募金

本学院では、創立100周年を機に、建学の精神を基礎とした特色のある教育・研究活動を一層充実させるために「創立100周年記念募金」を行っています。いただきましたご寄付は以下に掲げる目的に活用させていただくこととしています。

●大学、高等学校、中学校の教育施設の整備、図書館の充実
●100周年記念奨学金基金の創設
●100周年記念国際交流基金の創設

本趣旨をご理解の上、ご協力とご支援を賜りますようお願い申し上げます。

<概要>
募金名称 東京家政学院創立100周年記念募金
募金目標額 3億円
一口の額 個人 一口3千円以上
※一口未満のご寄付につきましても有り難く頂戴いたします。

東京家政学院創立100周年記念募金

本学院では、創立100周年を機に、建学の精神を基礎とした特色のある教育・研究活動を一層充実させるために「創立100周年記念募金」を行っています。いただきましたご寄付は以下に掲げる目的に活用させていただくこととしています。

●大学、高等学校、中学校の教育施設の整備、図書館の充実
●100周年記念奨学金基金の創設
●100周年記念国際交流基金の創設

本趣旨をご理解の上、ご協力とご支援を賜りますようお願い申し上げます。

<概要>
募金名称 東京家政学院創立100周年記念募金
募金目標額 3億円
一口の額 個人 一口3千円以上
※一口未満のご寄付につきましても有り難く頂戴いたします。

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