



創立者の大江スミが理想とするK(知)、V(徳)、A(技)の思いを教育の目標としています。
社会で活躍する自立した女性を育成する為に、”KVA精神”として理想の女性を育成する事を目標としました。




本学院の創立者大江スミは、1875年、長崎生まれ。父は貿易商のグラバー商会に勤務しており、父の東京転勤に伴ない、スミが6才のとき、一家で上京しました。
1889年、大江スミは、名門校であった東洋英和女学校に入学。東京で新しい教育の機運を目にしたスミの父は、子供の教育に力を入れ、スミに最高の学問を身につけさせ、自立した女性に育てる決心をします。東洋英和女学校へ入学したスミは、キリスト教の洗礼を受け、英語の勉強には特に力を注ぎ、「英語で用を足すことができる」だけの英語力を身につけました。そのことが、その後の大江スミの歩みに大きな影響を及ぼすことになったのです。
女子高等師範学校を卒業の後、沖縄師範学校に勤務しているとき、大江スミに大きな転機が訪れます。1902年に文部省留学生として、「家政学」の研究のため、英国留学を命じられたのです。大江スミの勤務ぶりとともに、とびぬけた英語力が評価されたためです。夏目漱石の英国留学の2年後のことです。
四年間に及ぶ英国留学は、大江スミの生涯を決定づけることになりました。スミは英国留学中、家政学研究のかたわら、広くヨーロッパを旅して、ヨーロッパ諸国の内情を知り、見聞を広めました。その体験によって、スミは女子教育、とりわけ家政教育の重要性を認識することになったのです。
留学を終え帰国すると、大江スミは女子高等師範学校教授に就任して、家政学の確立に全力を傾注し、家政学の母とよばれるのに相応しい活躍をします。衣食住から育児・福祉に至まで数々の教科書を出版して、日本の生活に合った家事のための授業の改善と実践に努めました。スミが最も重視したのは「実習」です。実際に生徒に体験させ、実地の指導をすることで、科学に基礎を置いた知識と技術を習得させたのです。
大江スミは、時とともに理想とする女子教育を実践するため、自分の学校を設立したいという思いを強く持つようになりました。1923年に「家政研究所」を開設し、翌々年、九段の地に日本初の家政学の専門学校を創設。さらに、理想とする女子教育を、成長過程の早い段階から実践するため、1939年に東京家政学院高等女学校を設立しました。設立に際して、「小さい女学生の間から、自分の理想通りみっちり仕込んでみたい」とその思いを述べています。
「我等の時こそ近く来ぬれ」と校歌に歌われているように、大江スミは社会で活躍する自立した女性の育成を、その教育の目標としたのです。スミ自身が、社会で活躍する自立した女性として日本の近代の先頭を歩いた人のひとりです。スミと同じ先駆者の市川房江は、その最晩年に、「大江スミさんの創立した学校だから」と特別に卒業講演に来て下さったことがあります。 大江スミが自分の理想とする教育を実践するために創立した学校は、着実に80余年の歴史を刻み、その創立の精神(KVA精神)によって、中学・高校・短大・大学・大学院を貫く総合的な学園として、現在に至っています。